• 正解が世界

    どこにもいないし、誰もいないって言ってるじゃないか。
    あなたという存在はどこにもいないって言ってるじゃないか。
    なんでそんなに低いんだよ。
    いい加減にしろよ。
    どうしてそんなに確認するんだよ。
    低いとか高いという世界ではなくて、全てはレイヤーだって言っているじゃないか。
    重なっているだけなのにえらいも偉くないもないだろう。
    たったそれだけのこと。

    自分が示すことは自分しかいないんだよ。
    上手いやり方もクソもないだろ。
    自分がやるんだから。

    自分がこの世界と重なっているだけなのに、
    上も下もないよね。

    自分が正解なのに

  • 自分とは別の領域と生きる

    自分が認識しているものではない状態を知りながら生きる。
    自分が何に一番気がついていないか。
    それは自分が素晴らしいということ。
    素晴らしければ別お領域に行くことができること。
    新しいことをどんどん気づくことができること。

    言葉は先を発すること。
    発された状態の自分が生成されていくということ。

    言葉は呪文でもあり祈りでもあり呪いでもある。
    行った通りになっていく。

    「良くなりたい」といえば、「良くなりたい」の状態がずっと続くため、
    よくなることは決してできない。
    「良くなった。ありがとう。」と言っていれば、良くなり終わった状態がずっと続いていく。

    これが「ありがとう」と言い続ければ自分に手に入る理由。

    こどもに「ダメでしょ」と言えば、「ダメでしょ」と同じように繰り返す。
    その状態と同じ。
    「すばらしい」と言い続ければ「すばらしい」とこどもは言い続ける。
    すばらしい子供になっていく。

    ここで大切なのは素晴らしい人は「素晴らしい」とは言わないということだ。
    素晴らしければ、もうなり終わっているならば、
    「嬉しい楽しい」を繰り返しているはず。
    そう言っているはず。

    なので、「楽しいな、楽しいな」と繰り返していると、自然と自分の楽しさに最適化されていく。
    これが言葉が初めにある理由。
    これが素晴らしい効果。

  • 認識できないものを認識する方法

    「何が分からないかを分からない状態」それに気がつくこと。
    「そうじゃない場所」に気がつけるかどうか。
    自分が認識できるものではないもの。
    それがこの世界には存在しているということに気がつけるかなんだ。

    この世界には存在していないものが存在しているということ。
    見えないものが見えるかどうか。
    見えないものを見えるものとしてではなくて、
    見えないものを見えないものとして認識できるかどうか。

    例えば幽霊という呼び方は、もうすでに現実世界側からの認識として考えられる。
    それとは違う状態を指します。
    「感覚」「直感」「現象」
    そのように呼ばれるもの。
    それを自分が認識していないものとして存在しているということを認識できているか。
    それがポイントなんだ。

    まるで開かずの間が開いたような気分。
    見たことのない景色が広がっている。

    自分が持つ認識により全てを見るので、私には全てが甘い世界に見えます。

  • 矛盾

    「矛盾を受け入れる」

    突然だけど、自分のこと愛してる?
    愛してるって思うよね。
    人は堰合に対する態度の全てが、全て自分に対する態度。

    あなたは矛盾て愛してる?

    もしも愛していないなら、あなたは自分のことを愛していないということになる。

    自分がもしも愛しているなら、矛盾も愛しているはず。

    矛盾て基本的に楽しい。

    楽しいよね。
    それに比べて現実は、なんて思いがち。

    その態度こそ、自分が自分につまらないと言っている証拠。
    もしも矛盾を受け入れたら、あなたは解放されるはず。
    とても天国に登るような嬉しさに報われるはず。

    現実の究極の反対側。
    矛盾を愛せてこそ、本当に自分を愛した状態になるんだよ。

  • なぜあなたが否定されているように感じるのか

    この席あの仕組みが否定する仕組みでできているから。
    みんな何もかも、否定したうえでの話を前提にしているから。

    肯定とはすべてを肯定したもの。
    否定すらも肯定した世界。
    そうではない世界で、ゲームをやらされている。
    そのゲームに、ゲームとして乗っからない限り苦しいまま。

    嘘の自分の状態で生きているから苦しい。
    むしろ苦しく感じるのは正常な証拠。
    鬱になるのは、真実に気付き始めているから。
    自分が正解であることに気が付けば、このゲームも正解であることに気が付く。

    ものを大切にできない人は自分を大切にできない。
    大切にできないことを愛せない人は、すべてを愛せない。

    重ねる思考になれば、すべてを愛することができるはず。
    この世界は恐れるに足らない。
    恐れすらも愛くるしい存在なのだから。

  • 自分の神を表現すること

    自分の心を表現することと、何かに従い行うことは違います。
    まるでチェーンステッチをするかのように、自分自身を通して物事を行うこと。

    例え話が多くなりますが、まさにこの例え話そのものが、
    自分を通して物事をみるということそのものを表しています。
    仕事というものも、自分が好きなものも、全て自分が現れています。
    それを逆さに、別物として捉えていること自体が間違えている。
    この世界は全て一つであり、無が有であり、有が無。
    ビールを一滴でも飲んだら血中にアルコールが回るように、
    必ずこの世界の全てはあなたが影響している。
    互いにエフェクトしている。
    それが真実ならば、今認識している世界の方が矛盾しているということになる。
    まるで幽霊が矛盾しているように見えるけど、
    幽霊からすれば現実の方が矛盾している証拠だよ。
    タイムトリップが矛盾しているように見えるなら、
    タイムトリップの方から見れば時間の方が矛盾しているのと同じだよ。

    苦しみの根源は矛盾。
    矛盾を受け入れれば苦しくない。
    自分を愛することを第一に優先するのであれば、
    あなたは矛盾を受け入れられるはず。
    この世界の何よりも自分を愛さなければ、
    あなたは自分自身wお愛することができない。
    この世界の矛盾をうけいれられるなら、
    その時あなたは自分自身を売れ切れたことになる。
    苦痛すらも幸福になる。

  • 「父殺し」とは

    自分の父を超えられていないうちは、自分が正解とはなっていない。
    この世界の何もかもを否定し、
    自分が正解となった時に初めて世界を正しく認識することができるんだ。
    そのために必要な態度が、「神殺し」「父親殺し」。

    神を殺し、自分が正解となっていない状態では神すらも正しい神と認識することができていない。

    人は重ねることしかできない。
    重ねることしかできない言え、
    「自分のどこが間違っているのだろう」と考えている間は、
    「間違えている神」を信仰していることになる。
    本当の神を信仰するためには、正しい自分の認識が不可欠なんだ。

    自分を正解だと認識することができたなら、
    あなたは痛みすらも正しいと認識する。
    死すらも正しいと認識する。
    全ての善と悪すらも正しいと認識する。
    捌くことができなくなる。


    人は真似るのではなく、「重ねる」。
    人に教わるのではなく、自分を重ねることで自分となる。
    もし神と自分を重ねるのであれば、その瞬間にインストールが完了し、新しいOSが始まったような意識に変わる。

    自分の認識が神を超える。
    そして自分が髪を超える認識になった時、初めて神を神と認識できる。
    世界を神と認識できる。
    無限に広がる宇宙を体験できる。
    そして永遠の幸せが約束される。


    YESとNOの上に立つ。
    捌く立場にいる以上、まだ自分が正解にはなっていない。
    もしも全てが正解になった場合、
    まるで左足をYES、右足をNOの上にいて立っているような気分になるはず。

    自分が正解になると時間をも超える。
    タイムリープや空間移動、いろんな事象が起きるけど、
    自分が正解となった場合、どんな事象も全て正解になる。
    全て起こりうることになる。
    そもそもアイデアが浮かんだり、
    そもそも「何かを行う」ということ自体。全て無から有が生み出されている状態。

    自分自身が、そしてこの現実世界が全て神の表現した世界だという認識に立てば、
    全ては合点がいく。
    つまりは全て現象であり、表現された後の世界。

    いわばみんな表現された作品そのもの。

  • 誰も気がつかないこと。

    「灯台を探しなさい」と言われた時、まさか自分が灯台だとは誰も思わない。
    「正解を探しなさい」と言われた時、まさか自分が正解だとは誰も気が付かない。

    人間は本来、自分を重ね同じことを繰り返す。
    それは本来、自分が正解でないとできない技。

    真似をしているだけの間は、自分が正解だなんて誰も思えない。

    女性が女性のアーティストを応援する理由。
    それは女性は自分を重ねることが得意だから。

    男性は重ねるのではなく、
    獲物を得に行こうとする。

    男性も女性も、重ねた自分を得ようとはしない。
    それを正解だとしない。

    自分が正解だなんて思うことはない。
    常に何が正解か、つまりは自分は何を間違えているのかを考えている。
    自分が正解なのに。
    そうすれば、全てが正解なのに。
    失敗も正解になる。
    嘘も正解になる。
    物質的も、物質的でない世界も正解になる。

    人は自分が正解にならない限り、何も正解として見ることはできない。

    全てはメタファーであり、それは真実になる。
    ただの例え話ではなく。
    この世界で矛盾をうけ入れなさい、という意味ではなく、
    「自分を正解だとしてはいけない」世界の方が矛盾なんだ。

    自分が決めた方ではない方が正解。
    自分を型に当てはめようとすると、
    人も型に当てはめようとする。

    人には人の事情がある。
    自分には自分の事情がある。
    他人を自由にすると自分も自由になる。

    全てが逆だと思うと気持ちが楽になる。
    でも本当は逆だと思い出さなければならない場所に立っている必要はない。
    あなた自身が移動して幸せそのものになったら、あなたは嬉しくて楽しいと繰り返しているはず。
    決して「幸せになりたい」なんて言っていないはず。

    自分が正解だと自分で認めた時、あなたはとても嬉しい。